2023年12月04日

夢枕獏『沙門空海唐の国にて鬼と宴す(1)』

〈2023年読書感想29冊目〉
夢枕獏『沙門空海唐の国にて鬼と宴す(1)』

 唐代の長安を舞台に鬼神が入り乱れての怪異譚が描かれる『沙門空海唐の国にて鬼と宴す』の第1巻です。幾つもの物語が同時並行的に進む為,構図が分かり難いのではありますが,それが独特の雰囲気を醸し出しているのが楽しい。歴史を彩る人物たちの競演が素敵であります。

 徳宗代の唐国を舞台に若き修行僧の空海と彼に同伴する儒学生の橘逸勢のふたりを主軸に奇怪な物語が織り成されます。世界都市であった長安を彩る数多の国の民による華やかな雰囲気が実に楽しい。哲学的な問答が多く描かれるのも良いです。予想の付かない物語に心惹かれるものを感じます。

 主役である空海と橘逸勢の組み合わせが興味深い。修行僧ではありますが,超然と達観的な空海と凡庸な橘逸勢の相性が意外に良くて微笑ましいものがありました。また,今巻の途中で帰日してしまいますが,藤原葛野麻呂も良い味を出していました。異国の地にてこの若き二人組が如何なる活躍を見せるのかが楽しみです。

 冒頭で描かれた妖猫の物語が途中から本格的に空海に絡み出すのが面白い。また,それ以外にも数多の怪異が扱われますが,現段階ではどのように物語が組み合わさっていくのか全く分かりません。それらの怪異を結び付ける妓女に秘密が隠されているようにも思えますが,それは先の楽しみでありましょう。波斯の商人マハメットとその三人の娘も良い味を出していました。

 唐の徳宗皇帝の死の予言から始まる怪異は唐王朝を揺るがす大事へと至るようですが,現段階ではまだ空海の交友関係の深化に留まっています。俗な部分もありながらその才で出逢う人皆を虜にしていく空海に限りない魅力を感じます。そして,そんな空海に友誼を感じながらも一歩引いて俯瞰する橘逸勢も興味深い。白楽天や韓愈といった唐代のみならず中国史を代表する詩人たちとの交友が楽しみでなりません。

 空海に雇われる天竺生まれの巨漢の大猴や西蔵出身で青龍寺の僧侶である鳳鳴といった脇を固める人物も面白い。何よりも不可思議な幻術で世間を翻弄する道士の丹翁の独特の立ち位置がたまらなく宜しい。その意図は不明でありますが,今後も空海の周囲に出没しては騒動と共に助言を与えることになるのでありましょう。

 空海の時代から遡る玄宗皇帝や楊貴妃,阿倍仲麻呂も今後物語に関わってくることになりそうです。現在と過去が如何に交錯していくのか待ち望みたく思います。そして,後に密教を日本に広めることになる空海が唐国で如何なる経験をしたのか,そしてそれを橘逸勢が如何に見守っていったのかも気になるところであります。

(角川文庫 2011年)
タグ:夢枕獏
posted by 森山樹 at 21:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書感想

2023年12月02日

2023年11月読書記録

2023年11月に読んだ本は以下のとおりです。
内藤了 『ZERO 猟奇犯罪捜査班・藤堂比奈子』 角川ホラー文庫
内藤了 『ONE 猟奇犯罪捜査班・藤堂比奈子』 角川ホラー文庫
鳴神響一 『鎌倉署・小笠原亜澄の事件簿 稲村ケ崎の落日』 文春文庫
ジェフリー・ディーヴァー 『ネヴァー・ゲーム(上)』 文春文庫
ジェフリー・ディーヴァー 『ネヴァー・ゲーム(下)』 文春文庫
長沢樹 『多重迷宮の殺人』 創元推理文庫
井上祐美子 『朱唇』 中公文庫

2023年11月の読了は7冊。購入は10冊。感想を書いたのは3冊。

 いろいろと精神的な疲れもあり,あまり読書感想を書くことができなかったのは残念です。一方で読書は例月並であったとは言えましょうか。外出する機会が多いと読書量が増えるのは不思議ではありますが,移動中の電車内は一番読書が進むということでありましょう。

 ジェフリー・ディーヴァーの『ネヴァー・ゲーム』は人探しによる賞金稼ぎが主人公というのが面白い。〈リンカーン・ライム〉程には二転三転するミステリィではありませんが,代わりにかなり活動的な冒険譚として楽しめました。舞台がゲーム業界ということで馴染みのゲームが登場するのも面白かった。新たなシリーズとして今後も期待したいと思います。

 『鎌倉署・小笠原亜澄の事件簿 稲村ケ崎の落日』は悪くなかったものの,いまいち衝撃性は弱めに感じました。第2作目以降も読んでみたいと思います。『多重迷宮の殺人』もそれなりに面白かったのですが,此方もやや不自然に感じてしまったのが残念です。『朱唇』は中国史を彩る妓女たちの物語が艶やかに切なかった。歴史に名を遺す人物たちの登場はやはり燃えるものを感じます。
posted by 森山樹 at 06:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書記録

2023年12月01日

2023年12月書籍購入予定

2023.12.08 上田早夕里 『播磨国妖綺譚 伊佐々王の記』 文藝春秋社
2023.12.20 小塚原旬 『機工審査官テオ・アルベールと永久機関の夢』 ハヤカワ文庫JA
2023.12.22 高田崇史 『猿田彦の怨霊 小余綾俊輔の封印講義』 新潮社
2023.12.25 武内涼 『阿修羅草子』 新潮文庫

 心惹かれる作品が割と少なめなのは寂しい。但し,海外小説は店頭で内容を確認してから購入する事例が多いのも確かであります。年末年始の帰省旅行の際に読みたくなるような重厚なミステリィを求めたいと思います。とは言っても,2023年も11月までに購入した本を対外積んでいますので,それも踏まえて購入を考えます。

 『播磨国妖綺譚 伊佐々王の記』は〈播磨国妖綺譚〉の第2作目です。第1作目の文庫化と同時に新作が刊行されるのは嬉しい。播磨国を舞台に妖を媒介としたどのような美しい物語が織られるのか期待しています。前作で脇を固めた魅力的な人物たちの再登場が楽しみでなりません。

 『猿田彦の怨霊 小余綾俊輔の封印講義』は〈QED〉シリーズに連なる作品でありますが,今作の題材が猿田彦というのが興味深い。舞台はやはり伊勢ということになるのでしょうか。〈QED〉シリーズ程には登場人物の個性は立っていませんが,歴史ミステリィとしては此方のシリーズのほうが密度の濃さを感じます。その意味でも待望の作品と言えましょう。
posted by 森山樹 at 05:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 購入予定

2023年11月28日

購入記録(2023.11.28)

ジュリー・ワスマー クリスマスカードに悪意を添えて 創元推理文庫 ¥1,254
ジェイムズ・ラヴグローヴ シャーロック・ホームズとサセックスの海魔 ハヤカワ文庫FT ¥1,496

 『クリスマスカードに悪意を添えて』は〈シェフ探偵パール〉の第2作目です。海外ドラマの原作であり,その人気が窺えます。第1作目はまだ読んでいないので,なるべく早めに読みたいと思います。女性主人公にお定まりの浪漫要素がやや気になるところですが,ミステリィとして純粋に楽しめるかが重要でありましょう。
 『シャーロック・ホームズとサセックスの海魔』は〈シャーロック・ホームズ〉と〈クトゥルー神話〉の幸せな融合が嬉しい〈クトゥルー・ケースブック〉の第3作目です。と言っても,此方も第1作目から積んだままになっています。モリアーティ教授が邪神として蘇るという奇想が興味深い。引退後のホームズが主役というのも期待を煽られます。今作で最終作ということもあり,じっくりと腰を据えて読みたいと思います。

〈2023年書籍購入覚書〉 計96冊
posted by 森山樹 at 20:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 購入記録

2023年11月19日

アシュリー・ウィーヴァー『金庫破りときどきスパイ』

〈2023年読書感想28冊目〉
アシュリー・ウィーヴァー『金庫破りときどきスパイ』

 第二次世界大戦下のロンドンを舞台とした冒険ミステリィ小説です。美貌の金庫破りと冷静沈着で美男子の士官という往年の少女漫画を想起させる設定が実に楽しい。イギリスとドイツの軍事機密を巡る争いから発展する殺人事件の解決に奔走する主人公たちが大変魅力的でありました。

 表社会では錠前師の手伝いをするエリー・ニール・マクダネルが裏の稼業である金庫破りに入った邸宅でゲイブリエル・ラムゼイ陸軍少佐に身柄を抑えられるところから物語は始まります。エリーの叔父であるミックを人質に取られたことでラムゼイ少佐への協力を余儀なくされるエリーの鮮やかな活躍が楽しい。複雑に絡み合った人間関係も興味深く,緊迫した場面が続くのも良いです。

 何よりもエリーに心惹かれます。卓越した金庫破りでありますが,それ以外にも掏摸を手遊びとし,詐欺師の素養もありましょう。その一方でその素性から法律を憎む性向が垣間見えるのが面白い。彼女の母の死は物語を貫く謎として用意されているのでありましょう。心に抱いた深い闇がエリーを単なる美人ではなく,自分を律することで目的を果たそうとする痛ましさを孕んだ女性としているように思います。ミックの教えから古典への素養を感じられるのも素敵でありました。

 このエリーを巡る男性模様が描かれるのも定番でありましょう。エリーの雇い主となるラムゼイ少佐は貴族出身の有能な陸軍士官であります。敵対するドイツへ機密を漏らした人物を追う任務を帯びる程にその才能に信頼感が置かれているのでしょう。高圧的で冷淡さも感じますが,男女の機微に通じているのも魅力であります。そして,エリーの幼馴染であるフェリックス・レイシーの立ち位置も面白い。ミックとエリーの真の稼業への協力者でもあり,意外な特殊な能力を示して,事件の解決に貢献します。エリーを巡るラムゼイ少佐とフェリックスの微妙な三角関係は今後の楽しみとなりましょう。

 脇役陣も個性を放っているのが嬉しい。叔父として師としてエリーを心配するミックやその子でエリーを妹のように扱うコルムとトビーも良い働きを見せてくれます。或いは彼らのエリーに寄せる愛情も読みどころでありましょう。また,ラムゼイ少佐の元婚約者であるジョスリン・アボットは物語を読み進めていくうちに印象が変わっていきます。彼女は結構お気に入りだけに今後の物語でも役割を与えられて欲しいところです。

 軍事機密を巡る美貌の金庫破りと美男子の青年士官という設定は定番ながらやはり引き付けられるものを感じてしまいます。当初は高圧的に過ぎたラムゼイ少佐が徐々にエリーを認めることで関係が改善していくのも宜しい。第二次世界大戦下のロンドンを舞台に華麗で危険な冒険活劇を存分に楽しむことができました。既に本国では第2作目が刊行されている模様です。早期の邦訳を願いたいと思います。

(創元推理文庫 2023年)
posted by 森山樹 at 18:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書感想