夢枕獏『沙門空海唐の国にて鬼と宴す(1)』
唐代の長安を舞台に鬼神が入り乱れての怪異譚が描かれる『沙門空海唐の国にて鬼と宴す』の第1巻です。幾つもの物語が同時並行的に進む為,構図が分かり難いのではありますが,それが独特の雰囲気を醸し出しているのが楽しい。歴史を彩る人物たちの競演が素敵であります。
徳宗代の唐国を舞台に若き修行僧の空海と彼に同伴する儒学生の橘逸勢のふたりを主軸に奇怪な物語が織り成されます。世界都市であった長安を彩る数多の国の民による華やかな雰囲気が実に楽しい。哲学的な問答が多く描かれるのも良いです。予想の付かない物語に心惹かれるものを感じます。
主役である空海と橘逸勢の組み合わせが興味深い。修行僧ではありますが,超然と達観的な空海と凡庸な橘逸勢の相性が意外に良くて微笑ましいものがありました。また,今巻の途中で帰日してしまいますが,藤原葛野麻呂も良い味を出していました。異国の地にてこの若き二人組が如何なる活躍を見せるのかが楽しみです。
冒頭で描かれた妖猫の物語が途中から本格的に空海に絡み出すのが面白い。また,それ以外にも数多の怪異が扱われますが,現段階ではどのように物語が組み合わさっていくのか全く分かりません。それらの怪異を結び付ける妓女に秘密が隠されているようにも思えますが,それは先の楽しみでありましょう。波斯の商人マハメットとその三人の娘も良い味を出していました。
唐の徳宗皇帝の死の予言から始まる怪異は唐王朝を揺るがす大事へと至るようですが,現段階ではまだ空海の交友関係の深化に留まっています。俗な部分もありながらその才で出逢う人皆を虜にしていく空海に限りない魅力を感じます。そして,そんな空海に友誼を感じながらも一歩引いて俯瞰する橘逸勢も興味深い。白楽天や韓愈といった唐代のみならず中国史を代表する詩人たちとの交友が楽しみでなりません。
空海に雇われる天竺生まれの巨漢の大猴や西蔵出身で青龍寺の僧侶である鳳鳴といった脇を固める人物も面白い。何よりも不可思議な幻術で世間を翻弄する道士の丹翁の独特の立ち位置がたまらなく宜しい。その意図は不明でありますが,今後も空海の周囲に出没しては騒動と共に助言を与えることになるのでありましょう。
空海の時代から遡る玄宗皇帝や楊貴妃,阿倍仲麻呂も今後物語に関わってくることになりそうです。現在と過去が如何に交錯していくのか待ち望みたく思います。そして,後に密教を日本に広めることになる空海が唐国で如何なる経験をしたのか,そしてそれを橘逸勢が如何に見守っていったのかも気になるところであります。
(角川文庫 2011年)
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